クリスマス・イヴの想い出
平成の天皇誕生日、人々はこの日を「クリスマス・イヴ・イヴ」と呼んで、買い物にいそしんでいましたと、後世の史家に書いてほしい。服飾売場の狭い通路を買い物客同士、身を捩ってよけながら、そんなことを考えていた、12月23日。
隣町のデパートへ入ったら、聴こえてきたのは今年もマライア・キャリーの「オール・アイ・ウォント・クリスマス・イズ・ユー」。「ウォント(want)」とは、かなり直接的に「欲しい」という欲求を現わした表現のはず。今どき「あなたが欲しい」などと唄って、顔を顰める人もないだろう、というのも、健全なのかどうか。
なんとなく音楽PV番組、たとえばブラック・アイド・ピーズの"I Gotta Feeling"等を視ていると、そこは映画などでお馴染みのニューヨークとかトーキョーとかの活力にあふれた頽廃世界で、あのような消費と官能のエネルギーに満ちた場所と自分との距離をつらつら考えてしまう。何度も入口までは往った。でも入ったことはない(ように思う)。
消費へのエネルギー。でも、僕の半生はいつもそこを眺めみるものだった。かつて出家などした人々のように。
クリスマスの想い出は、ジョン・レノンに"So this is Xmas, and what have you done?"と唄われてから始まる。"What have you done?"(何があった?)と尋ねられて始まるというのも、おかしなもの。
そういうわけで、僕はクリスマスが来るたびに「何があった?」と自分に尋ねているようなものだ。
その頃うちに小さなクリスマス・ツリーが来た。僕も飾り付けを手伝ったけど、朝ツリーの下に置かれているプレゼントを期待する年齢でもなくなっていたので、かなり義理の気分は否めない。(事実、プレゼントはもらえなかった)。
いわゆる「クリスマス・イヴ・イヴ」は、平成の天皇誕生日となる前の昭和時代、僕の周辺では数人の男どもがささやかな交歓会を開くのが恒例だった。明日のクリスマス・イヴをどのように過ごすのかは誰も問わない。「イヴ・イヴ」を男同士で語らい、明夜どんな異性とどんな夜を楽しもうと知ったことか、という互いに暗黙の了解のもとでの宴だったのだろうか。ある意味、健全だ。
そうして大学生の頃は、男同士薄暗い部屋で山下達郎が「ホワイト・クリスマス」と「クリスマス・イヴ」をメドレーで唄うライヴ音源を繰り返し、聴いていた。
「♪ きっときみはこない ひとりきりのクリスマス・イヴ」
そんな曲をじっと聴いていたのだ。なんてわびしい。
この曲はシングルが発売されてからヒットするまで六年もかかっているので、当時は知られざる名曲、街角で耳にすることもなかった。今では一度も聴くことなくクリスマス・シーズンを終えることも難しい。
その前奏を聞くたび「ホワイト・クリスマス」のエンディングが空耳で聞こえる。
この曲が、ヒットチャート1位を獲得したとき、同輩たちはみんな私企業やら、公務員やらに職を得て、すでに僕の視界から消えていた。おそらく毎年冬のボーナスをクリスマス商戦ですり減らしているのだろう。そして僕は前年刊行した第一歌集に力を得て、ひとりきりのクリスマスを詩歌句の創作に没頭することで乗り越えようとしていた。
だからもう二十年以上も僕は、「イヴ・イヴ」の夜を誰かと過ごし、「イヴ」はいつも一人で居る。いや、もしそのとき誰かを思っていたなら、けっして一人ではない、のだろうか。 そして今年も静かにクリスマス・イヴを過ごせたのは、天佑なのだろうか。それとも、悲劇なのだろうか。
自分にもそれが判らない。天佑なのだと思っておこう。メリー・クリスマス。 |