まんすりー・こめんと  2009年12月

 
  クリスマス・イヴの想い出

 平成の天皇誕生日、人々はこの日を「クリスマス・イヴ・イヴ」と呼んで、買い物にいそしんでいましたと、後世の史家に書いてほしい。服飾売場の狭い通路を買い物客同士、身を捩ってよけながら、そんなことを考えていた、12月23日。

 隣町のデパートへ入ったら、聴こえてきたのは今年もマライア・キャリーの「オール・アイ・ウォント・クリスマス・イズ・ユー」。「ウォント(want)」とは、かなり直接的に「欲しい」という欲求を現わした表現のはず。今どき「あなたが欲しい」などと唄って、顔を顰める人もないだろう、というのも、健全なのかどうか。

 なんとなく音楽PV番組、たとえばブラック・アイド・ピーズの"I Gotta Feeling"等を視ていると、そこは映画などでお馴染みのニューヨークとかトーキョーとかの活力にあふれた頽廃世界で、あのような消費と官能のエネルギーに満ちた場所と自分との距離をつらつら考えてしまう。何度も入口までは往った。でも入ったことはない(ように思う)。
 消費へのエネルギー。でも、僕の半生はいつもそこを眺めみるものだった。かつて出家などした人々のように。

 クリスマスの想い出は、ジョン・レノンに"So this is Xmas, and what have you done?"と唄われてから始まる。"What have you done?"(何があった?)と尋ねられて始まるというのも、おかしなもの。
 そういうわけで、僕はクリスマスが来るたびに「何があった?」と自分に尋ねているようなものだ。
 その頃うちに小さなクリスマス・ツリーが来た。僕も飾り付けを手伝ったけど、朝ツリーの下に置かれているプレゼントを期待する年齢でもなくなっていたので、かなり義理の気分は否めない。(事実、プレゼントはもらえなかった)。

 いわゆる「クリスマス・イヴ・イヴ」は、平成の天皇誕生日となる前の昭和時代、僕の周辺では数人の男どもがささやかな交歓会を開くのが恒例だった。明日のクリスマス・イヴをどのように過ごすのかは誰も問わない。「イヴ・イヴ」を男同士で語らい、明夜どんな異性とどんな夜を楽しもうと知ったことか、という互いに暗黙の了解のもとでの宴だったのだろうか。ある意味、健全だ。
 そうして大学生の頃は、男同士薄暗い部屋で山下達郎が「ホワイト・クリスマス」と「クリスマス・イヴ」をメドレーで唄うライヴ音源を繰り返し、聴いていた。
 「♪ きっときみはこない ひとりきりのクリスマス・イヴ」
 そんな曲をじっと聴いていたのだ。なんてわびしい。
 この曲はシングルが発売されてからヒットするまで六年もかかっているので、当時は知られざる名曲、街角で耳にすることもなかった。今では一度も聴くことなくクリスマス・シーズンを終えることも難しい。
 その前奏を聞くたび「ホワイト・クリスマス」のエンディングが空耳で聞こえる。
 この曲が、ヒットチャート1位を獲得したとき、同輩たちはみんな私企業やら、公務員やらに職を得て、すでに僕の視界から消えていた。おそらく毎年冬のボーナスをクリスマス商戦ですり減らしているのだろう。そして僕は前年刊行した第一歌集に力を得て、ひとりきりのクリスマスを詩歌句の創作に没頭することで乗り越えようとしていた。

 だからもう二十年以上も僕は、「イヴ・イヴ」の夜を誰かと過ごし、「イヴ」はいつも一人で居る。いや、もしそのとき誰かを思っていたなら、けっして一人ではない、のだろうか。 そして今年も静かにクリスマス・イヴを過ごせたのは、天佑なのだろうか。それとも、悲劇なのだろうか。
 自分にもそれが判らない。天佑なのだと思っておこう。メリー・クリスマス。

 
 

 
  昨今の年賀状事情

 21世紀になって、年賀状の売上がしだいに減ってきていると聞いた。
 不況のせいもあるのだろうけど、干支の絵と堅苦しい挨拶文とか、家族もしくは子供の写真入りイラストとか、そういう行事に参加しているという横並び意識を楽しめない人には、おもしろくもなんともない書面を元旦から大量に見せられても、というのは、よく解る。電子メールだけで済ませてしまう人が増えるのも無理はない。
 でも、僕は毎年このやりとりをかなり楽しんでいる。
 1990年代からしだいにそういう企業の挨拶状のようなオーソドックスもしくはステレオタイプな物が減り、凝った独創的なデザインを使う人、あるいは、昨年のオフィシャルな業績を報告する人、あるいは、ユニークな文面や挿し絵を自分で作り出してくる人、あるいは、旅行などプライヴェイトな写真を使う人、とにかく時間をかけて、相手を楽しませよう、もしくは、相手にこちらの情報をくわしく伝えようという意識で作成された賀状が増えてきているのは、けっしてこちら宛に届く賀状に限ったことではないだろう。
 でも、それすらも面倒だから電子メールだけで充分というなら、残念だね。
 僕の場合、今年2009年は大半がそうした読み甲斐のある一枚だった。すると、干支の絵と堅苦しい挨拶文でも、家族もしくは子供の写真入りイラストでも、その没個性ぶりがむしろ個性を放(はな)って見えてくるから、なおさら好い。
 だからこそ僕も毎年知恵を絞っているのだけど、そうそう佳いアイデアが簡単にうかぶものでもない。数年前だか、何も思い付かないで、郵便局で購入した挿し絵入り葉書をそのまま送ったことすらある。受け取った人達は、さぞかしあきれたろう。手抜きと指摘されれば、これ以上の手抜きもないのだからね。
 三宅惺公式サイトのトップページを使った2007年、富士山山頂から昇る前年の初日の出を撮ったスナップを刷った2009年の二度は、その年しばしば対話の枕にされたから悪くなかったのだろうな。僕も、そうだ。年賀状のやりとりをしている相手は、必ずしも週にたびたび顔を合わせるような人達ばかりではない。そんな相手との再会のとき、彼もしくは彼女の年賀状の文面を思い出そうとしたことは、一度や二度ではない。佳い年賀状は話の枕ぐらいにはなるネタを提供してくれるのだ。
 僕が送る書面も、できればいつも、そうありたいものである。
 
 ではまた来年。

 

 

 

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