まんすりー・こめんと  2010年1月

 
  秋の勝長寿院

 川沿いの道を漫然と歩く。
 「大河は行先も思いのままに俺を流れ下らせた」うんぬんと、暗唱している詩など口遊みながら、文覚上人邸跡から滑川の支流に沿って南進すると、勝長寿院跡へ着いていた。石碑、石塔、そして案内板があるだけ。

 ある秋の日の午後のこと。
 史書「吾妻鏡」が正しければ、僕の敬愛する歌人将軍・右大臣実朝はここに葬られたはず。そして寿福寺に伝わる実朝の墓は供養塔だろうという件について以前書いた。でも、その後、寿福寺に実朝の墓とされる石塔が建てられた時期を考証した説の中に、勝長寿院荒廃の時期を特定した或る説の直前とするものがあるのに気付き、明治時代に勝長寿院遺跡が完全に姿を消したとき実朝の墓らしき物がまったく存在していなかったのならば、寿福寺に墓を移設した可能性もけっしてゼロではないと考え直すようになった。それとも、やはり荒廃したから供養塔を建てたと考えるべきだろうか。

 そんなことを考えながら、日々ただ黙々と歩いている。我ながら奇妙な生だ。

 「渡る世間は鬼ばかり」よりも粘っこく、「八つ墓村」よりもおどろおどろしい、とても抑圧的な家庭環境に育ったから、ミュージックやアートなどに解放への夢を託した非道徳的芸術愛好家に成る素養が、もともと僕にはたっぷりあったのだと思う。だからそんな因習に凝り固まった地縁を蹴飛ばしてもっと誠実な生き方を選んだのだと胸を張るつもりはないけれど、少なくともそうした道へ進もうと努力した結果がこれだとしたら、ずいぶんな運命だ。

 ときおり何処かで誰かが僕について話している言葉が漏れてくる。あるいは、誰かがまぎれもないこの僕を呼ぶなら、僕だって別の方へそばたてている耳を少しそちらへ関心を向けるだろう。でも、どれもなんだかそれが自分のこととは思えない。僕が関われる命も、僕に関われる命も時が満ちなければ永遠という異次元の中だ。精いっぱい差し出した手が、いたずらに空をつかむばかりということ。
 ともあれ、人がどう言っているかは知らないけど、去年僕は居を定めたばかりのこの町が、かなり気に入った。
 このデフレ時に相も変わらず物価は高いから、買い物などは近場で済ませ、散歩ならば遠くまで出てもかまわないと考えている人には、多少住みにくい処はある。でも、僕のように近場での散歩を好み、極く稀な買い物こそ遠くでするか、注文して取り寄せてしまうタイプにとっては、じつに暮らし良い町だ。年老いて、足腰が弱くなれば、注文ばかりになってしまいそうだけど、そういう店もここでは事欠かないらしい。ネットショップもこれからは一層充実してゆくだろう。理想的だ。

 年が明けると、町は、牡丹、椿、梅と、しだいに百花繚乱の趣。今年は花が早いらしい。歩き甲斐がある。好い土地だ。
 それでも、ここが僕の旅の終わりとはなりそうもない。君の掌だって握ってはいない。
 さて出発。けど、明日の天気予報は雨なので、次はあさってかもしれないね。

 
 


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