まんすりー・こめんと  2010年2月

 
  確定しているに超したことはない

 二月の初め、朝の散歩をしていると、宇都宮稲荷神社という小さな社殿に初午の注連縄が張られていた。
 京都の伏見稲荷神社に神が降りたのが初午の日とされているので、このような町稲荷、村稲荷、坂稲荷でも、ささやかな祭りがあるわけだ。まめな人なら自宅の庭の祠(屋敷稲荷)でも何かしているのだろう。

 立春までまだ日はあるから、今年は冬のうちに初午の日を迎えたわけだ。季語の上では、初午はもちろん春なのだけど。

 ここは源頼朝の重臣だった宇都宮一族の屋敷跡だとか。
 「たしかな証拠がない」という理由であまり世に喧伝されていないけど、市内のほかに宇都宮氏の屋敷跡と伝わる場所があるわけじゃないから、伝承を疑う必要もないだろう。宇都宮頼綱が謀反の疑いをかけられて出家し、生活の場を西日本に移した後、この地に鎌倉幕府第四代将軍の屋敷が建ち、初代将軍・頼朝以来の「大倉幕府」に対し、「宇都宮辻子幕府」と呼ばれたわけだから。

 その頼綱が京都小倉山の麓に建てた中院山荘の襖絵に飾った歌をもとにして、現在の小倉百人一首ができた。いま嵯峨中院町にある厭離庵の周辺が、その跡地と推測される。
 選歌は藤原定家で、厭離庵の裏には、定家の息子、為家の墓があるとか。為家は頼綱の娘を嫁にもらっているので、当時は女性にも遺産相続権があるから彼女が頼綱の山荘を相続したのではと、空想を逞しくして過ごすのも一興。

 藤原定家もその近くにやはり山荘を持っていたのだけど、その場所は今や候補地が散在。確定しているに超したことはないね。やっぱり。
 常寂光寺仁王門北側から二尊院の南側という言い伝えがあるそうだけど、事実なら二尊院並みの敷地かも。貴族だ。それでも、ジョン・レノンのロンドン邸ならば、庭の湿地ていどにもならないかな。
 そこは僕が子供の頃たびたび通った辺りだ。生家の菩提寺がそばにあった。

 江戸時代に小倉百人一首が庶民にまで普及すると、選歌依頼を請けた定家自筆の小倉百人一首色紙を襖に貼った中院山荘跡地は、いつのまにかここも定家の別荘跡という伝承に替わり、二十世紀には敷地内に定家の名を借りた山荘ができてしまう。定家ゆかりの史跡が周囲に幾つも実在するためか、それも定家の息子に縁があるならば当然なのだけど。
 微妙に異なった言い伝えがこうしてできあがってゆくわけだ。
 宇都宮稲荷も、厭離庵も、小倉百人一首とのゆかりを充分に誇れる場所だと思う。所詮、僕の独断でしかないけれど。でも、一方は証拠がないことを理由に殊更に取り上げられず、もう一方はより大衆にアピールできる不正確な宣伝文句が採用されるとすれば、哀しい。

 宇都宮氏はとても稲荷信仰が強い人々だったらしく、ゆかりの地にはたいてい稲荷神社があるそうだ。もっともこれは、僕がわざわざ調べたわけじゃなく、地元の古老から聞いた挿話をそのまま写しているだけなのだけどね。
 すると、嵯峨中院町近辺の何処かに屋敷稲荷だか、町稲荷だかがあったのか、現に今もあるのか。
 だれかが大切に護っているなら、それで善い。

 
 

 
  「ナウシカ」の変貌

  生きていれば人は変わる。なにを当たり前のことをと言われればそれまでだけど、或る特定の作家の創作に付き合っていると、僕等は彼等の変貌を目の当たりにして、時に驚き、とまどうほかないことがある。
 たとえば僕が映画館で観たスタジオジブリのアニメ版「風の谷のナウシカ」では、主人公ナウシカは自分の命を捨ててでも人間と地球を守ろうとする平和主義者で、一方、ナウシカの国を混乱に陥れた外国の王女は<巨神兵>という世界を崩壊に導く最終兵器を使おうとして失敗し、ナウシカ側の人達からその愚かさをさんざんに批判されていた。それから時を経て、ようやく雑誌連載が完結したマンガ版「風の谷のナウシカ」の最終回では、その最終兵器を操るのはナウシカの方で、ナウシカを含む人間、動植物の命と引き換えに地球をよみがえらせると確約する相手をナウシカは<巨神兵>に命じて滅ぼしてしまう。これは一神教的な「神殺し」の一種かもしれない。そして、大いなる自然からの使いである<王蟲>の思いに添おうとしてきたナウシカは、みずからが滅ぼした敵が<王蟲>と同じものだったことに気付く。作品の思想は180度ひっくり返ったわけだ。マンガ版の冒頭部とアニメ映画で高らかに奏でられていた理想は、マンガ版の最後で主人公自身の手によって破壊しつくされてしまう。
 それでも多くの人達は、アニメ映画よりも原作マンガの方が、より深みのあるメッセージを発していると受け取り、アニメ映画を絶賛していた人達までがマンガ版の完結に拍手を送った。その後、スタジオジブリの作品は「神殺し」をたびたびテーマに取り上げ、評価と観客動員数は、登りにのぼってゆく。

 でも、そういう幸福な例はけっして多いわけではない。

 大戦下に十代を過ごした小説家の三島由紀夫は、若い頃「ファシズムは美しい」と書き、その早すぎる晩年には「日本がファシズム国家であったことはない」と言い、谷崎潤一郎に「細雪」の発表を許さなかった戦時下を「あれほど自由であったことはない」と語った。
 意味はあべこべ。でも姿勢は同じ。
 「細雪」は発表されなくても、三島の若書きの短編集は豪華本として世に出たのだから、その実感がものを言わせているとしたら、知性は曇っていたのか、あるいは狂っていたのか。それとも、人間にあるのは最初から姿勢と態度だけで、知性は実感を解釈する道具に過ぎないのだろうか。

 腐海という汚れた土地のほとりで生きていたナウシカは、マンガ版の途中で腐海の奥に浄化された土地があることを森に住む人から教えられ、そのそばで共に住もうと誘われながら、汚れた土地で苦しむ人達と共に生きることを選ぶ。今ではこの森が僕には映画「となりのトトロ」のトトロが住む森に見える。誰もトトロの住む森には住めないし、また、住むべきではない、僕らは汚れた土地で苦しむ人達と共に生きてゆくべきだと。
 そして一神教でない神を生かそうとするもののけ姫が登場してくるわけだ。
 もちろん、ただの妄想だ。でも、悪くない妄想だと思うのだけどな。


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