まんすりー・こめんと  2010年5月

 
  沖縄の基地

 僕が沖縄を初めて訪ねたのは2000年秋のことだった。訪ねたといっても、沖縄本島の南端二十数キロほどをうろうろしたに過ぎない。
 学生の頃うちに来た友だちを散歩がてら案内したことがあり、その友だちが沖縄に移り住んだので頼って行ったのだった。
 その折りにたまたま米軍基地の横を通る機会もあった。路傍の金網越しに初見で意外だったのは、その敷地面積の広さだ。とにかくでかい。それなのに、すぐ目の前を軍用機が滑走路をうろうろしているのだ。あまり気持の良いものではない。そばには、一般住宅はもちろん、商店街も、小学校もあった。
 「日米安保体制は平和を維持するために役立っている。だからその代償として国土に米軍基地が置かれるのもしかたがない。ただし自分の家のそばに米軍基地は欲しくない」
 それが国民の平均的感情だとすれば、その平和は「自分の家のそばに米軍基地がある」人達に過剰な負担を押し付けることで維持されているのだということが、そうして間近に基地を見ていると、まざまざと感じられた。実際、当時も、また現在も日本国土上にある米軍基地の九割は沖縄にあるのだ。
 「沖縄の人が(この負担に)黙ってるのも後十年ほどかもね」
と言ったのは、僕だったか、同行の人だったか、記憶があやふやだけど、その十年後のさまざまな動きであきらかになったことは、予想以上に沖縄の人々の苛立ちは高まっているということと、沖縄県外の人々、それは日本人であれ、アメリカ人であれ、どちらにせよ現状を大筋で改めるつもりはないらしい、ということ。
 「日米安保体制は維持すべきで、国民はその負担を平等・当分に受け入れるべき。ただし自分の家のそばに米軍基地は欲しくない」
 予算削減の時に繰り返されている総論賛成・各論反対、「財政危機のさなか予算は削減すべき。ただし自らの活動に関わる予算は確保したい」という意見の国防版といったところか。簡単に片が付きそうもないな。
 もちろん僕は、サーターアンダギーを口にして、守礼門をくぐったり、海辺で泳いだりしに行っただけで、基地の横を通ったのも偶然に過ぎないのだから、自家用車で案内してくれた友だちに何かの思惑があったにせよ、なかったにせよ、ただの通行人、そんな人間に何が言えるものでもない。
 沖縄に住まない限り、沖縄の負担経験と基地機能移転に賛成の声を上げることは軽々しくできない。今僕が住んでいる町でも鉄道に数駅乗車すれば米軍施設のそばに至る。あれ以上の大きな施設は御免というのが本音だ。そんなもの沖縄の負担とは比較にもならないというのは重々承知で。
 とても真っ当な意見とは呼べない。でも、ただ黙っているのは嫌だから、それをこうして書いている。書いたところで何が変わるわけでもないのだけど。
 強いて言えば、現状この体制は真っ当ではないのだと僕等みんながはっきり自覚すること。それだけで善いはずはない、あまりにささいなことだけど、それすらもできないのはあまりに下劣。そう思う。

 
 


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