ばらばらな思い
先日、ある人との話の途中でしきりに大阪について話題をふられた。ふと「この人、こちらを大阪人と勘違いしているのかな」と思ったけど、気にしないで昔たびたび遊びに行った梅田、中之島、難波の町について話した。
でも、それでは話が続かないから、すぐにまた今住んでいる町での話になった。
近ごろ食事を終えて、
「ごちそうさま」
と言うたび、家人から
「茶碗にごはんがまだ残ってます」
と指摘されている。
眼鏡の度が合わなくなって、白い茶碗の底にある白い御飯粒が見えなくなっているのだろう。ささいなことではあるけど少々落ちこむ。
たんに眼鏡の替え時なのかもしれない。長年使っていればレンズだって汚れが目立つから。
「夢をみることは大切だ」
「夢とはかなえるものだ」
そんなことばが今日も世の中では飛び交っているのだろう。それも善い。
でも、僕は夢ではなく生活を、現実を追い回していたら、詩歌句の世界に来た。だからもうほかの何処へも行けないのだ。
べつに他所へ行きたいわけじゃないけどさ。
それでも、結果的に僕は優れた作を生むにやさしいポジションをこの社会で確保することができたようだ。それを優先していたらここに落ち着いたというだけで、何も理性的判断でそれを得たわけではない。
生きたいから書いているのではないし、死にたいから書いているのでもない。だれかを生かしたいから書いているといえばもっと嘘臭いし、生活したいから書いているといえば説得力ゼロだ。それでも、詩人だの、歌人だのと活動していたから、まだこの身が存在しているのは確からしい。
いわゆる「ほんもののエッセイ」の文体で書けば、これらのネタで四本くらいは書けそう。
でも、マスメディアに載せる文章でなし、ここでそんなことをしても誰も喜ばない。この方が短くて、すぐに読めて良いだろう。
人と話していると、たいてい話題は右に左に跳んで、こんなふうにとっ散らかったものになる。はたで聞いているのはばかはがしいけど、話に参加している者としてはそれで充分らしい。
この文章も充分であることを祈ろう。
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