【縦書きがきちんと表示されない人の為に】
気付いたら / 心に住んだひとがいて / ときおり / 部屋から顔のぞかせる


 歌集「Cry」より
 単行本では、二行目を「住んだ女」と表記し、「女」に「ひと」と振り仮名をふっていたのだけれど、インターネットの都合上やむをえず「ひと」にした。
 ちなみに自歌撰「ロール・アンドクライ」収録時は、巻頭に据えるにあたり、改稿している。それは先頭をきるなら進軍ラッパのようであって欲しいと云う配慮の為で、普段は元通りこんなところでいいと思う。
 下の句の譬喩表現を除けば、詩と呼べる要素はなにひとつない。そういうぎりぎりのところで上手く決まれば申し分ないが、さて、これは決まったのだろうか。好意的にとらえてくれる人が大勢いるなら、決まったのだろう。
 難解を嫌うあまり、平明になりすぎた傾向はある。でも、難解でありすぎるよりは個人的には好いというのが性分なのさ。でもそれはたしかに容易でない。「詩人の技巧の一つは、潜在意識の源泉から浮かび出るであろうものを理解できるものとし明確に表現することである」と書いたディラン・トマスも特に初期は難解でした。佳い詩だけど。
 ところで、歌には関係ありませんが、「心中」は「しんちゅう」と「しんじゅう」、いずれで読むかで意味が違います。昔Kawabata Yasunari<IN THE HEART>(だったと思う)という英文小説があって、読むとあきらかに川端康成「心中」の英訳なんたけど、さてこれはどちらで読むべきなのか。「しんじゅう」だと誤訳になるし、でも「しんちゅう」とも断言しかねる。たぶん両方を意識した変種の掛け言葉なのでしょう。


 御意見、御感想がございましたら、お聞かせください。
 無断転載は禁じます。Copyright(C),Miyake Satoru.1995,1999

次回  前回


この一首/目次


三宅惺ホームページ